東日本大震災と福島

昨年も東日本大震災について記載させていただきました。院長淺野です

東日本大震災発災時、埼玉医科大学総合医療センター災害支援チームとして気仙沼地域の医療支援に向かいました。自分は福島県立医科大学出身なので福島へ支援に行ければと思ったのですが福島原発の状況がそれを許さないものでした。東北自動車道を気仙沼に向けて走っているときに福島西インターチェンジを降りる消防車の隊列をみて、この中に加わりたいと思ったことを覚えています。

放射能の影響もあり中々福島に支援に行けませんでした。

福島の地に支援に向かえるようになったのは発災後2年経ってからです。

小児救急医学会の支援プログラムにのっとり海沿いの公立相馬総合病院に伺うようになりました。

http://www.hosokunagaku.jp/?m=201305&post_type=doccom&paged=2

公立相馬総合病院での外来診察です

月に1回程度外来をお手伝いし、緊張状態の続いていた常勤に先生方に休息をとっていただければとの主旨です。福島駅からレンタカーを借りて1時間半かけて病院まで伺っていました。埼玉から福島駅まで着いたのですが吹雪のため福島駅から公立相馬総合病院に向かう峠を越えられず支援に行けなくなり、かえって迷惑をかけるなどの失態もありました。

公立相馬総合病院に向かう道すがら除染対応等で中々復旧が進まない現実をみて、色々考えさせられたことを覚えています。

福島の皆様はまだ復旧の途上にあるかと思います。

この未曾有の災害を風化させてはいけないと日々思います。